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竹 ノ 内 裕 治

<略歴>
1969/02/25 京都府伏見区生まれ
1984/04〜1987/03 大分県立大分工業高校 建築科
1987/04〜1989/03 総合技術工学院 情報処理科
1989/04〜1997/01 コナミ株式会社 サウンドデザイン室
1997/07〜2003/10 株式会社ソニーコンピュータエンタテインメント内 有限会社デザートプロダクションズ
2004/06〜2007/01 滋慶学園グループ 大阪コミュニケーションアート専門学校 教務部
2007/03〜2014/03 株式会社フロム・ソフトウェア サウンドセクション
2014/05〜  株式会社アクセスゲームズ サウンド

使用DAWAbleton Live 8
環境Apple MacBookPro(2.4Ghz Intel Core i5 / 8GB RAM) + Apple 27 inch Cinema Display
使用VST音源 UVI Workstation : Plugsound Pro
KORG : Legacy Collection ANALOG & DIGITAL EDITION
Spectrasonics : OMNISPHERE / STYLUS / ATMOSPHERE
NATIVE INSTRUMENTS : KOMPLETE 7 / Pro-53
ARTURIA : Jupiter-8V / Mini-V
G-FORCE : impOSCar
expansion : BFD1.5 / BFD2
XLN Audio : Addictive Drums
ProjectSAM : Symphobia
趣味最近はエアーブラシなど全て売ってしまったので制作することが無くなりましたが、1/43スケールのモデルカー制作 および 収集が楽しくて、現在2500台ほど在庫しています。本人は自動車免許を持っておらず運転には殆ど興味ありません。あくまでも自動車のデザインが大好きなのです。また、それらを置いて撮影する為のジオラマも時々制作します。
好きLEDやFlickerライト等など光るもの 香水やブランデーの瓶 青 銀 龍 インコ 植物 西 四柱推命


1969年(昭和44年)2月25日(火)、京都府伏見区生まれ。
幼稚園に入る前に大分県へ引っ越し、以降、社会人になるまで九州で過ごすこととなる。

西遊記(劇伴はゴダイゴ)、鉄腕アトム(劇伴は三枝成彰)、そしてYMO、といった音楽に囲まれた思春期を過ごした。 中学3年生の文化祭では、友達の衛藤英幸くん(魔法陣グルグルの作者さんの弟)率いるバンドにて、衛藤くんの所有するシンセサイザー YAMAHA CS-15を借りて、軽く化粧をして、YMOのコピーバンドで出演(実はカセットテープを流してるだけで、演奏は弾き真似だけだった) これがシンセサイザーというものとの初めての出会いだった。

高校受験に合格した際、進学祝いを買ってやると言う父親に、 ROLAND JUPITER-8(当時の価格98万円)をねだるも、調子に乗んなと腹パンチをくらい敢えなく撃沈。 一桁減らしてKORG POLY-800(当時の価格9万8千円)にて我慢、これが初めてのマイ・シンセサイザーとなった。 これがキッカケとなり、POLY-800についていた簡易シーケンサーを使って作曲らしきことをはじめる。

高校3年生で、地元の人気バンド『Darjeeling(ダージリン)』に先述の衛藤英幸くんとともに加入。 ツイン・キーボードで数々のライブに出演。 この頃は練習して覚えて少しだけ弾けるようになっていたし、他のバンドのようにプリセット音で弾くだけでなく、 シンセサイザーによる音作りを駆使し、オリジナリティーの追求をしていた。それらは、第7回 高校生ロック選手権にて 『グランプリ賞』『CBSソニー賞』『人気No.1賞』を受賞する結果へと繋がった。人生で1番モテていた時期である(涙)

高校で美術部に所属し油絵を描いたりしていた自分が、絵を仕事にしたいのでデザインの専門学校に行かせて欲しいと父親に相談。 「そんなもんで食っていけるか」と一蹴され、色々と悩んだが、 ファミリーコンピューターでゲームに大ハマリしていた自分が選んだ道は、コンピューター繋がりということで、情報処理の専門学校だった。 この頃には所有するシンセサイザーやリズムマシンも増えていて、自分で作詞作曲そして歌う、高橋幸宏さんマジRESPECTなバンドを組んで活動していた。

卒業も近づいて就職に迷っていた。 高校は建築科だったので建築事務所などにも応募〜面接に行ったりもしたが、自分がやりたい事はこれじゃない感をひしひしと感じていた。 そんなある日、求人ルームで『コナミ工業株式会社(現在のKONAMI)サウンドデザイナー』の求人を発見。 オリジナル曲を応募したところ3度ほどの面接を経て内定。1988年の夏、運命のときでした。

1989年、コナミ工業株式会社(現在のKONAMI)にサウンドデザイナーとして入社、ゲーム業界での人生がスタートしました。 同期の6人を、ファミコン担当、アーケード担当、PC担当、に割り振る試験が行われて、僕が配属されたのは「PC担当」… 誰でも知ってるファミコンのゲームを担当して自慢したかった僕が、MSXとかいう知名度の低いマニアックなハードの担当となったことは、 当時の自分としては正直ショックでした。 しかし、もし最初にファミコンを担当していたら、売れるゲームを担当することばかりに気を取られ、よい作品を作ることを忘れてしまい 今、業界に残っていなかったかも知れません。









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